マクルーハンの「グーテンベルグの銀河系」に触発されて。
「メディア」というものに対して、マクルーハンが定義したキーワードは「マッサージ」。
「マッサージ」は「メッセージ」を洒落っ気たっぷりにマクルーハン流にアレンジしたものだが、
その意味は深い。

今年最後のブログは、マーシャル・マクルーハン「メディアはマッサージであるー影響の目録」(1967年)の備忘録というか雑文です。
この本を手にしたのは、文庫版発売と同時期の2015年3月。文庫本ながらビジュアルブックと呼ばれる体裁(1967年にこの体裁で出版していることも驚きです)のため、リビングの片隅においてこれまで何度もパラパラと目を通してましたが、はっきり言って、本の中身は難解で、残念ながら、マクルーハンが言おうとしている本の中身のたぶん1/10も理解できていません。
しかし、梅棹忠夫 「情報の文明学」(1962年)、レジス・マッケンナ 「リアルタイム 未来への予言」(1997年)を読んだ時と同じ位の衝撃を受けたのも事実です。いずれの書籍も私が触れたのは、ここ10年~15年程度。それぞれの書籍が、その時代に書かれたものでありながら、今のインターネット社会や情報産業、ブロードバンド・ネットワークが張り巡らされた世界を予見しているという意味では、驚くべきことと言えます。
というわけで、なんとなくすごいぞ!ってことは理解出来ましたが、彼が言わんとしていることのほんの一部しか把握出来ていませんので、あくまでメモ程度の雑文としてお付き合い下さい。
まずは、この本を手にとったきっかけから。
それは、パーソナル・コンピューターの父といわれたアラン・ケイに遡ります。彼は、ゼロックス研究所時代の1970年、パソコンの理想形をダイナブック構想として提唱し、(それを具現化したマウスやGUIにスティーブ・ジョブスが大きな影響を受けたのは有名な話ですね)その後にコンピューターはメディアになることを論文として発表することになります。
AppleⅡ発売が1977年、IBM PC発売は1981年なので、その当時のコンピューターと言えば、科学技術の計算や事務処理のための大型汎用コンピューター全盛と言えます。
そんな中、「コンピューターがメディア」であるとの着想はどうやって得たのか?
当時、彼は約半年間の間、一冊の本を何度も何度も熟読していたそうです。その本とは、マクルーハンの「グーテンベルグの銀河系」(1962年)。なかなか興味深いエピソードですね。
そんなわけで、私もアラン・ケイにあやかり「グーテンベルグの銀河系」を読もうと思いますが、単行本価格が8,000円超!、価格と併せて、難解そうな内容にひるんで、手軽な本書(文庫本 850円)にたどり着いた次第です。
マクルーハンは、1911年 カナダ生まれ。、1936年 ケンブリッジ大学を卒業し、1952年以降はトロント大学教授。英文学者であり、メディア・文明批評家。1980年 69歳で亡くなられています。
主な著書と出版時期は、以下の通り
「機械の花嫁-産業人間のフォークロア」(1951年)
「グーテンベルグの銀河系ー活字人間の形成」(1962年)
「メディア論―人間の拡張の諸相」(1964年)
「メディアはマッサージであるー影響の目録」(1967年)
「メディアの法則」(1975年)
論理的でないとか、突拍子もないとか、書籍発表時は賛否両論あった様ですが、こうしたマクルーハンに興味を持ち、IBMは彼にアドバイスを求めます。「IBMは、情報を加工することがビジネスなのに、ハードウェアばかり売っている。」彼のアドバイスは、当時IBMにはなかなか理解されなかったそうです。
さて、残念ながら書籍の本質を掴んでないので、個人的な考えは置いておいて、主題を思われる箇所を紹介しましょう。
※青文字箇所は引用
あらゆるメディアはわれわれのすみずみにまで完全に作用する。メディアがもたらす帰結は、個人的にも政治的にも経済的にも美的にも心理的にも道徳的にも倫理的にも社会的にもすみずみまで浸透するので、われわれのあらゆる部分が例外なしにメディアによって接触され、影響と変更を被ってしまう。 メディアはマッサージである。メディアがどのように環境として作用するのかを知ることなしには、社会的・文化的変化の理解はいかなるかたちであれ不可能である。
あらゆる
メディアは
人間の
なんかしらの
心的
ないし
身体的な
能力の
拡張
である
ビジュアルで以下説明があって、
車輪→足の拡張
書物→目の拡張
衣類→皮膚の拡張
電気回路→中枢神経の拡張
こう続きます。
メディアは環境に変更を加えることで、それ固有の感覚知覚の比率をわれわれ人間のうちに生み出す。どのひとつの感覚が拡張されても、われわれの思考と行動の仕方ー世界を知覚する仕方ー変更される。
感覚知覚の
比率が
変わる
とき、
人間は変わる。
(改行位置は書籍のまま)
ちなみに、気になるタイトルは、間違ったゲラを見たマクルーハンが、面白がってそのままのタイトルを採用したとの事。
メディア自体が私たちや社会を揺さぶり変化をもたらす、という彼の主張を考えると「マッサージ」を採用したのは結果的に的を得た表現であったと言えます。
最後に、P.106~107の見開きで引用されているDylanの詩を紹介して終えたいと思います。
「なぜってなにかが起こってるのに
それがなにかあなたは分かってないからさ
そうだろう、ミスター・ジョーンズ?」
お手軽な文庫本なのに超難解な一冊、年末年始の脳の「マッサージ」に是非。
こちらもおススメです。